白い毛


この夏から働き始めた新しい製本屋には

老若男女いろんな人が働いてる。

誤解を恐れずに

ひとくくりにこの言葉を使うが

所謂「知的障害」と思われる症状を背負いながら

働いている人達を、数名見かける。


工程が複雑な作業、

細かな判断が瞬時に必要な作業ができなかったり、

喋る時に吃りがちだったり

集中するのが苦手だったり。


そういう彼らと

同じ工程でチームとなって一緒に仕事をしていて

作業が滞ったり困ったりしたことは

ほとんどない。

おそらく

仕事の段取りをする人たちの

細かな心遣いで

適材適所、きちんと役割が割り振られているからだろう。


逆に、

慣れていない僕が困らせることは結構ある。

けど、彼らは嫌な顔ひとつせず

協力しながら仕事を進めてくれる。




その日は、ある女性と二人で

同じ工程で作業していた。

その女性は、一見すると

自分の中に引き篭もってるような印象で

初め、僕とのコミュニケーションを避けているような気がした。

だからあえて、僕から言葉を投げかけることはしなかった。

けど、そういうのはたいてい

こちらの勝手な思い込みで

僕らは少しずつ、馴染んでいった。

彼女は、喋る速度が極端に遅くて

けれど手作業は迅速、小慣れた感じで

僕にも仕事のコツを少しずつ教えてくれた。

そんな風にしながら時間が流れた。



ある時、その女性が僕の方をはっきり見ながら

とてもゆっくりと、こう言ったんだ。

「長岡さんは、猫と暮らしてるの?」

僕は驚いて、彼女をまっすぐに見て

「なぜそう思ったの?」

と逆に聞いた。

彼女は僕の肩口を指差して

「白い毛がついてるから」

と答えたのだ。



そう、それは確かにまあまの白い毛だった。

僕がその日着ていたTシャツは

長いこと着ていなかったTシャツを

引き出しの奥からわざわざ引っ張り出した

黒い無地のやつ。

まあまの毛が付いていても不思議のないTシャツ。

けどね、

本当によく見ないと

その毛に気づくことなどほぼ不可能と言い切れるくらい

小さな短い毛だった。

彼女は、それを猫の毛だと言い切ったのだ。



想像して欲しいのだが、

製本の作業場は

常時機械がけたたましい音を立てている場合がほとんどで

仕事は流れ作業、騒々しく慌ただしい環境の中で

自分の仕事に没頭するので精一杯。

誰かの服に付いてる小さな猫の毛を発見するなんて

いくら猫好きだって無理、という話なのです。


こうした障害を負った人が

ある特定の分野で優れた感覚の持ち主であることは

よく言われる話だし

実際にそういう方に会ったことがあるけど、

僕は彼女の観察眼に心底驚いた。

そして気がつけば、

彼女が醸し出す不思議なオーラを感じていた。

いつどんな時も、

周囲の環境に影響されることなく

自分の感性や感覚にコンスタントに集中できる、

強い、不思議なオーラ。

そして、優しいオーラ。




「そう、僕は猫と暮らしているよ」

と答えてすぐに

「猫と暮らしていた」

と言い換えた。



彼女に、まあまと2ヶ月前にお別れしたことを、

手短に話した。

すると彼女はしばらく黙ってた。

黙った後で、自分が幼い時から猫が好きで

沢山の猫と暮らし、死に別れてきたことを

ゆっくりと話してくれた。

どの話も不思議な臨場感があって

生々しくて

彼女がどれくらい猫を愛していたかが

手に取るように理解できた気がした。


死別を繰り返してるのに

いや、繰り返しているからこそ

彼女は愛猫との思い出を

まるで大好きな映画みたいに

記憶しているのかもしれない。

いやそれもまた彼女の独特な才能なのかもしれないと

思ったりした。




「名前はなんて言うの」

「まあま」

そしたら彼女は驚いた表情で

「お母さんなの!」

と言った。

お母さんって言い方がとても面白くて

僕は声をあげて笑った。

彼女も笑った。


笑いながら

体の中からズドーンと音がして

熱い塊がむくむくと湧いてくるのがわかった。

その塊は体の下の方から

上方へ向かっていき

目から溢れそうになった。

必死で堪えた。


「長岡さん、お母さんが死んだのね、可哀想」

彼女はそう言いながら

もう僕の方を見ようとはしなかった。

僕が取り乱しているのを察知したから

そうしたのかもしれない。

僕との話で

彼女の中の悲しみを

思い出させてしまったのかもしれない。

とにかく

僕と彼女の会話はそこでピタッと終わった。


二人とも

正気を保つ為に

何かを忘れる為に

目の前の仕事に没頭してた。

少なくとも僕は

終業のベルが鳴るまでそうした。



いつのまにか

まあまの白い毛は

どこかへ飛んで行ってしまっていた。



今年の夏が終わろうとしている。

暑かった夏、

まあまが旅立った夏が終わろうとしている。







【ジョー長岡ライブ情報】

8月30日 日曜日
新高円寺STAXFRED
http://staxfred.com

18時半開場/19時開演
2000円(+1ドリンクオーダー)

出演
スエヒロカズヒロ
あべたかしGOLD&キラキラみさこ
ジョー長岡
nobo



9月23日 祝日
「ノラとジョー」
高円寺 BAR IMPRONTA
http://bar-impronta.com

18時開場/19時開演
1500円(+1ドリンクオーダー)

出演
ノラオンナ
ジョー長岡



ライブ会場でお逢いしましょう。