ゴミ

5月3日に朗読オブザリングという企画に出演し、

朗読時間10分前後のオリジナル作品を書き上げました。

終演後、僕の大切なお客様の一人から、

ジョーさん、是非作品をテキストにしてアップして欲しい…とお願いされた。

本来、朗読用に書き上げたものなので、どうしようか迷ったのですが、

ほぼ凍りついてる音瓶波ラヂオにアップする事を決めました。

リスナーの皆さん、よければこのテキストを音読してみませんか。

企画のシサンさんがお楽しみ抽選会で言ってたこと、

僕も以前から強く感じていたことですが、

文章を実際に声に出して読んでみる事で、

言葉に響きやリズムを与える事で、

その意味合いやニュアンスは少なからず変化します。

是非お試しあれ。












僕にとって絶対的な「ゴミ」の話をひとつ。


8歳。

小学校3年生の時の話です。

ゴミってあだ名のクラスメイトがいてね。

背が低く、痩せっぽっちなゴミ。

身なりは汚く、いつも肌着の白いランニングシャツを着ていた。

白いって言ったって、もともと白かっただけで、

黄ばみを通り越して、肌に近い茶褐色のような色をしてた。

きっと着替えなんかなくて、毎日同じシャツを着ていたからに違いない。

髪はボサボサで、靴もボロ。

穴が空き放題で、足の指が何本か常に露出していた。

靴下を履いた姿なんて一度も見たことなかった。

ゴミは鼻を垂らし、それをいつも腕でぬぐうから、

腕の辺りが鼻汁でピカピカ光ってた。

家に風呂がなかったのだろう。いつも獣みたいな匂いがした。



僕はゴミんちに何度か行ったことがあるんだが、

バラック小屋みたいなオンボロの家で、

雨が降れば、ポ〜タポタ、雨漏りするし、

風が吹けば、ゆ〜らゆら、壁や天井が音を立てて揺れた。

ごみんちの前には、大量の粗大ゴミが山のように積まれていた。

ゴミの父親が廃品回収の仕事をしていて、

いつのまにか家の前にゴミの山ができた。

ゴミは更にゴミを呼び、街中の人が粗大ゴミを勝手に置き始め、

瞬く間にゴミんちの前には、ゴミの大山ができた。

ここまで聞いてる人は、もうわかったと思うが、

ゴミのあだ名の由来は、家の前のゴミの山にある。

ゴミの父親は、毎晩酒を飲んで酔っ払っては、

ゴミにこんなことをわめいてたと言う。

「いいか、近所の奴らは全員、この山をゴミの山と呼んでるらしい。

ゴミの山? そりゃ違うぞ。

これはな、宝の山だ。誰がなんと言おうと、宝の山だ!わかるかー!」



ゴミは、父親が言う言葉を信じた。

実際、ごみんちの前のゴミの山は、

こう言うと誤解を与えるかもしれんが、思いきって言うと、

なんだか格好いいんだ。



無造作に積まれた大きな電化製品や家具、壊れた機械の部品などは、

まるで何かの秘密基地か、要塞のような佇まいだった。

「父ちゃんの言ってることはさ、本当さ。

街の奴らが何言ってたって、気になんかしないやい。」

これはゴミの口癖。


そんな矢先、ゴミの父親は家に帰ってこなくなった。ゴミの母親は、

「あの馬鹿、もう二度と帰って来やしないよ!」

とゴミに言ったらしいが、ゴミにはその意味が、まだよくわからなかった。



ゴミというあだ名について、担任の先生や親たちは、

「そんな酷い、醜いあだ名で呼ぶのはやめなさい」

と、いつも言ってた。

「まあそうかもなー」

とは思っていたが、あまりピンときてなかった。

ひどいとか醜いは、先生や親たちが、

勝手にそう考えているからだろう、と思ってた。

少なくとも僕にとってゴミは、

あの秘密基地の風景、要塞そのものなんだ。

秘密基地に住むゴミは、

僕らの知らない、何か特別な任務を担っているのかもしれない。

あの汚い格好にも、鼻汁にも、

何か特別な理由があるかもしれない。そう考えたりしてた。

憧れ、とは少し違う、

ゴミを近いような遠いような、うまく言えない距離感で眺めていた。











夏休みに入ってすぐの真夜中、

僕とゴミが暮らす街に大きな地震が起きた。


そりゃあ大きく揺れて、

しかも何度か連続して起きたもんだから、

近所のほとんどの家が崩れ、寝ていた人達は家の下敷きになり、

沢山の人が亡くなった。

クラスメートの何人かも亡くなった。


僕んちの家は大きく傾いたが、崩れることはなかった。

道路や田畑の地面には巨大な亀裂が走り、

電柱は倒れ、街中が瓦礫だらけとなり、

生き残った人達が小学校に避難してきた。

国や県からの援助は来てはいたが、

細々と最低限、生き延びる為だけの援助。

電気、ガス、水道が止まり、食事もままならない。

トイレは排泄物で溢れ、臭いを周囲に撒き散らした。

風呂にももちろん入れない。

余震は長く続き、避難所の人達は疲弊していった。




僕らのような子供たちは、こんな状況でも、

次第に子供同士で集まるようになり、時間を共有した。

避難所の体育館の裏の小さな空き地でドッチボール。

その最中に、誰かが言った。

「なぁ、ゴミんちはどうなったかな。あいつ生きてるかな。」


言ったとほぼ同時に、全員がドッチボールをやめて、

ゴミんちの方向に走り出していた。

西の空が夕焼けで真っっ赤に燃えあがる中、

5〜6人の子供達が、瓦礫だらけの街を、ひたすら走った。

まるでつむじ風のように、すごいスピードで。



ゴミんちの前に着いた時は息も絶え絶えで、

肩で息をしていた奴もいる。

ゴミんちのゴミの山は!ん?以前より少し低くなった気がする。

山の裏にあるゴミんちは、、、、変わらぬ佇まい、

いや少し変わったかもしれないが、

汚いバラック小屋みたいなボロ屋は、そのままそこにあった。


「ゴミ、生きてるんか。ゴミ!」

僕が声をかける。




しばらくして、気だるそうに出てきたのは、ゴミ。

いつもの汚い格好で、グー。。。鼻を鳴らした。

ピカピカした腕はそのままに。




僕らは日が落ちかけた夕闇の中、

瓦礫の街のど真ん中で、ドッチボールをした。

ドッチボールの最中に気がついたんだが、

長い避難生活のせいで、

ゴミも僕らもあまり変わらぬ小汚さだった。

匂いもなんだか似ていた。

違うのはピカピカした腕くらいなもんで、

ゴミの腕の年季が入った光具合は、誰にも似ていなかった。

夕闇の中でその腕はいつもよりキラキラと輝いていた。

僕はそのキラキラめがけて、思いきりボールを投げた。

思いっきり!











時は流れ、

僕らは大人になり、

街は地震の被害から立ち直って、ずいぶん時間が経つ。

僕はとっくの昔に生まれた街を離れ、異国の都会で暮らしている。

ゴミひとつ落ちていない街で、小綺麗な服を着て、

時折、靴にブラシをかけたりして。

ゴミとも、その頃の友達とも、もう長い間会っていない。

思い出せない記憶の欠片は、僕の中に年々、

ミルフィーユのように積み重なっていく。





けどね。時々。

本当に時々。思い出すんだ、あの頃のこと、ゴミのこと。

懐かしいとか、戻りたいとか、そんなんじゃない。



あの頃、僕の手の届くところに、確かにあった、

明け透けな、剥き出しの人のぬくもり。


善悪の価値や、柔な感情など、入る隙もなかった、

生々しい人の匂い。


他人からどう思われるとか、

女子から嫌われるとか、

内緒の話をしたとかしないとか、

どうでもよかったあの頃。



ボールを思いきり投げ、

ぶつけ合い、

ザラザラした手触りで、

穴だらけの靴で、

瓦礫の世界を駆け回っていた僕ら。

そしてゴミ。



高層ビルのベランダに立ち、

整然と並ぶ摩天楼を見下ろしながら、

僕は今思ったことを、そのまま声に出してみた。


「おい、ゴミ。生きてるんか、なぁ、ゴミ、 ゴミ!」







作、朗読  ジョー長岡







★memo


作品の狙い。

絶対的な概念ではない、

あくまでも相対的な概念である「ゴミ」という言葉に、

絶対的な意味と、ポジティブな響きを与えたい。

母親から解放され、女性の支配を受ける前の、

ちょうど8歳頃の男の子の貴重な時期、

地震で荒れ果てた瓦礫世界を使って。


朗読は、悲しいトーンにせずに、ハツラツ、淡々と読み聞かせること。

枕の最後には、「僕にとって絶対的な ゴミ の話をひとつ」を必ず入れること。









当日、お客様にお配りしたパンフの中に、

今回の企画に臨むにあたり、

7名の出演者の意気込みが短い言葉で紹介されています。

僕はこんなことを書きました。





友人の絵本作家が以前、こんなことを言ってた。

「絵本は声に出して読まれることを待ってる」と。

沢山の絵本作品に影響を受けて、歌を作り始めた僕にとって、

朗読と歌唱は限りなく同じ行為なのだ。

今回の縛りの中で、聞いていただく皆様に、

いかに「音楽」を感じてもらうか。

今回の僕の最大のテーマです。





この場を借りて、

企画に誘ってくれたシサン嬢、

茶友であり、リスペクトする絵本作家きたがわめぐみ、

テキスト化を勧めてくれた、岩見夏子に

感謝を捧げます。

ありがとうございました!

愛してます。




ジョー長岡