ゴミ
5月3日に朗読オブザリングという企画に出演し、
朗読時間10分前後のオリジナル作品を書き上げました。
終演後、僕の大切なお客様の一人から、
ジョーさん、是非作品をテキストにしてアップして欲しい…とお願いされた。
本来、朗読用に書き上げたものなので、どうしようか迷ったのですが、
ほぼ凍りついてる音瓶波ラヂオにアップする事を決めました。
リスナーの皆さん、よければこのテキストを音読してみませんか。
企画のシサンさんがお楽しみ抽選会で言ってたこと、
僕も以前から強く感じていたことですが、
文章を実際に声に出して読んでみる事で、
言葉に響きやリズムを与える事で、
その意味合いやニュアンスは少なからず変化します。
是非お試しあれ。
☆
僕にとって絶対的な「ゴミ」の話をひとつ。
8歳。
小学校3年生の時の話です。
ゴミってあだ名のクラスメイトがいてね。
背が低く、痩せっぽっちなゴミ。
身なりは汚く、いつも肌着の白いランニングシャツを着ていた。
白いって言ったって、もともと白かっただけで、
黄ばみを通り越して、肌に近い茶褐色のような色をしてた。
きっと着替えなんかなくて、毎日同じシャツを着ていたからに違いない。
髪はボサボサで、靴もボロ。
穴が空き放題で、足の指が何本か常に露出していた。
靴下を履いた姿なんて一度も見たことなかった。
ゴミは鼻を垂らし、それをいつも腕でぬぐうから、
腕の辺りが鼻汁でピカピカ光ってた。
家に風呂がなかったのだろう。いつも獣みたいな匂いがした。
僕はゴミんちに何度か行ったことがあるんだが、
バラック小屋みたいなオンボロの家で、
雨が降れば、ポ〜タポタ、雨漏りするし、
風が吹けば、ゆ〜らゆら、壁や天井が音を立てて揺れた。
ごみんちの前には、大量の粗大ゴミが山のように積まれていた。
ゴミの父親が廃品回収の仕事をしていて、
いつのまにか家の前にゴミの山ができた。
ゴミは更にゴミを呼び、街中の人が粗大ゴミを勝手に置き始め、
瞬く間にゴミんちの前には、ゴミの大山ができた。
ここまで聞いてる人は、もうわかったと思うが、
ゴミのあだ名の由来は、家の前のゴミの山にある。
ゴミの父親は、毎晩酒を飲んで酔っ払っては、
ゴミにこんなことをわめいてたと言う。
「いいか、近所の奴らは全員、この山をゴミの山と呼んでるらしい。
ゴミの山? そりゃ違うぞ。
これはな、宝の山だ。誰がなんと言おうと、宝の山だ!わかるかー!」
ゴミは、父親が言う言葉を信じた。
実際、ごみんちの前のゴミの山は、
こう言うと誤解を与えるかもしれんが、思いきって言うと、
なんだか格好いいんだ。
無造作に積まれた大きな電化製品や家具、壊れた機械の部品などは、
まるで何かの秘密基地か、要塞のような佇まいだった。
「父ちゃんの言ってることはさ、本当さ。
街の奴らが何言ってたって、気になんかしないやい。」
これはゴミの口癖。
そんな矢先、ゴミの父親は家に帰ってこなくなった。ゴミの母親は、
「あの馬鹿、もう二度と帰って来やしないよ!」
とゴミに言ったらしいが、ゴミにはその意味が、まだよくわからなかった。
ゴミというあだ名について、担任の先生や親たちは、
「そんな酷い、醜いあだ名で呼ぶのはやめなさい」
と、いつも言ってた。
「まあそうかもなー」
とは思っていたが、あまりピンときてなかった。
ひどいとか醜いは、先生や親たちが、
勝手にそう考えているからだろう、と思ってた。
少なくとも僕にとってゴミは、
あの秘密基地の風景、要塞そのものなんだ。
秘密基地に住むゴミは、
僕らの知らない、何か特別な任務を担っているのかもしれない。
あの汚い格好にも、鼻汁にも、
何か特別な理由があるかもしれない。そう考えたりしてた。
憧れ、とは少し違う、
ゴミを近いような遠いような、うまく言えない距離感で眺めていた。
☆
夏休みに入ってすぐの真夜中、
僕とゴミが暮らす街に大きな地震が起きた。
そりゃあ大きく揺れて、
しかも何度か連続して起きたもんだから、
近所のほとんどの家が崩れ、寝ていた人達は家の下敷きになり、
沢山の人が亡くなった。
クラスメートの何人かも亡くなった。
僕んちの家は大きく傾いたが、崩れることはなかった。
道路や田畑の地面には巨大な亀裂が走り、
電柱は倒れ、街中が瓦礫だらけとなり、
生き残った人達が小学校に避難してきた。
国や県からの援助は来てはいたが、
細々と最低限、生き延びる為だけの援助。
電気、ガス、水道が止まり、食事もままならない。
トイレは排泄物で溢れ、臭いを周囲に撒き散らした。
風呂にももちろん入れない。
余震は長く続き、避難所の人達は疲弊していった。
僕らのような子供たちは、こんな状況でも、
次第に子供同士で集まるようになり、時間を共有した。
避難所の体育館の裏の小さな空き地でドッチボール。
その最中に、誰かが言った。
「なぁ、ゴミんちはどうなったかな。あいつ生きてるかな。」
言ったとほぼ同時に、全員がドッチボールをやめて、
ゴミんちの方向に走り出していた。
西の空が夕焼けで真っっ赤に燃えあがる中、
5〜6人の子供達が、瓦礫だらけの街を、ひたすら走った。
まるでつむじ風のように、すごいスピードで。
ゴミんちの前に着いた時は息も絶え絶えで、
肩で息をしていた奴もいる。
ゴミんちのゴミの山は!ん?以前より少し低くなった気がする。
山の裏にあるゴミんちは、、、、変わらぬ佇まい、
いや少し変わったかもしれないが、
汚いバラック小屋みたいなボロ屋は、そのままそこにあった。
「ゴミ、生きてるんか。ゴミ!」
僕が声をかける。
しばらくして、気だるそうに出てきたのは、ゴミ。
いつもの汚い格好で、グー。。。鼻を鳴らした。
ピカピカした腕はそのままに。
僕らは日が落ちかけた夕闇の中、
瓦礫の街のど真ん中で、ドッチボールをした。
ドッチボールの最中に気がついたんだが、
長い避難生活のせいで、
ゴミも僕らもあまり変わらぬ小汚さだった。
匂いもなんだか似ていた。
違うのはピカピカした腕くらいなもんで、
ゴミの腕の年季が入った光具合は、誰にも似ていなかった。
夕闇の中でその腕はいつもよりキラキラと輝いていた。
僕はそのキラキラめがけて、思いきりボールを投げた。
思いっきり!
☆
時は流れ、
僕らは大人になり、
街は地震の被害から立ち直って、ずいぶん時間が経つ。
僕はとっくの昔に生まれた街を離れ、異国の都会で暮らしている。
ゴミひとつ落ちていない街で、小綺麗な服を着て、
時折、靴にブラシをかけたりして。
ゴミとも、その頃の友達とも、もう長い間会っていない。
思い出せない記憶の欠片は、僕の中に年々、
ミルフィーユのように積み重なっていく。
けどね。時々。
本当に時々。思い出すんだ、あの頃のこと、ゴミのこと。
懐かしいとか、戻りたいとか、そんなんじゃない。
あの頃、僕の手の届くところに、確かにあった、
明け透けな、剥き出しの人のぬくもり。
善悪の価値や、柔な感情など、入る隙もなかった、
生々しい人の匂い。
他人からどう思われるとか、
女子から嫌われるとか、
内緒の話をしたとかしないとか、
どうでもよかったあの頃。
ボールを思いきり投げ、
ぶつけ合い、
ザラザラした手触りで、
穴だらけの靴で、
瓦礫の世界を駆け回っていた僕ら。
そしてゴミ。
高層ビルのベランダに立ち、
整然と並ぶ摩天楼を見下ろしながら、
僕は今思ったことを、そのまま声に出してみた。
「おい、ゴミ。生きてるんか、なぁ、ゴミ、 ゴミ!」
作、朗読 ジョー長岡
★memo
作品の狙い。
絶対的な概念ではない、
あくまでも相対的な概念である「ゴミ」という言葉に、
絶対的な意味と、ポジティブな響きを与えたい。
母親から解放され、女性の支配を受ける前の、
ちょうど8歳頃の男の子の貴重な時期、
地震で荒れ果てた瓦礫世界を使って。
朗読は、悲しいトーンにせずに、ハツラツ、淡々と読み聞かせること。
枕の最後には、「僕にとって絶対的な ゴミ の話をひとつ」を必ず入れること。
☆
当日、お客様にお配りしたパンフの中に、
今回の企画に臨むにあたり、
7名の出演者の意気込みが短い言葉で紹介されています。
僕はこんなことを書きました。
♪
友人の絵本作家が以前、こんなことを言ってた。
「絵本は声に出して読まれることを待ってる」と。
沢山の絵本作品に影響を受けて、歌を作り始めた僕にとって、
朗読と歌唱は限りなく同じ行為なのだ。
今回の縛りの中で、聞いていただく皆様に、
いかに「音楽」を感じてもらうか。
今回の僕の最大のテーマです。
♪
この場を借りて、
企画に誘ってくれたシサン嬢、
茶友であり、リスペクトする絵本作家きたがわめぐみ、
テキスト化を勧めてくれた、岩見夏子に
感謝を捧げます。
ありがとうございました!
愛してます。
ジョー長岡