辺境に轟く歌 〜ジャスミンの海〜

「辺境に轟く歌」


ジャスミンの海〜



その昔、
川沿いってのは
川を挟んで
こちら側と
あちら側に分かれる
まさに境界線。



今のように
あちこちに橋がかかってなかった時代には
舟を使って
あるいは泳いで
向こう側に渡るしかなかった訳だが
今じゃそれは昔の話。


そんな川沿い、辺境の地にある
古いラブホテルの一室。

隣でスヤスヤ眠っている浅黒い肌の女、
フィリピン生まれの
名前は「ジャスミン」っていうんだ。



ジャスミンとは
西川口のフィリピンパブで知り合った。

ブルーヘブンって名前の店で
ダンサーをしてた彼女、
店のチークタイムでお互いパートナーがいなくて、
たまたま一緒に踊った。
かかっていたのは確か、テイクマイブレスアウェイ♪

踊りながら、僕の名前を聞き出すと
彼女はいきなり、僕の目をじっと見つめて、
こんなこと言い出した。


「長岡さん、サンデー、日曜日、何してる?」
「ん、サンデーは、だいたい寝てるよ」
「長岡さん、私を漫画喫茶に連れてって」

ジャスミン
美人って訳じゃなかったが
初対面から妙にしっくりとくるものがあった。

初めて会ったのに
初めてとは思えないような
そんな不思議な感触。

どこかホッとするような声と、
眼差しと、仕草。匂い。
すっとぼけたような話しかたの中にある
愛嬌、ぬくもり。
優しさ。

ジャスミン
パブで働いているのに
酒が呑めなくて
いつもウーロン茶か
ラムネを飲んでた、

ラムネは
不器用に瓶を傾けて
口を尖らせて飲む

瓶の口にはいつも
紅いルージュがついてる


僕は2つ返事で
「うん、よし、漫画喫茶、行こう」
と約束した。



僕らは次の日曜日に
赤羽駅で待ち合わせして
漫画喫茶に行った。

彼女はどうやら
うる星やつら」を読みたかったらしいが、

ちょうど僕が久しぶりに開いた
あしたのジョー」の単行本に興味をしめし、
彼女は日本語がそこまで読めないから
僕が協力して、一緒になって、
あしたのジョーを2人で読み進めた。
日本語と英語と、少しのタガログ語が入り混じって。

あしたのジョー読書会は、
毎週日曜日に赤羽で開かれ

僕らは飯を食い、
僕は酒を呑み
彼女はお茶を飲み

やがて
朝まで一緒に過ごす仲になった。


僕らの2つの身体が
軋むベッドの上で魚になった後
ジャスミンは寝タバコしながら
よく昔話をしてくれた。


あたしのおかあさんは
綺麗だった。とても。
しかし、あたしには冷たいね。
あたしのおとうさんは
あたしがまだ小さい時に
家を出た。
出た後、戻らない。
あたしのお兄さんは
マニラでボクシングした、


どうりで
あしたのジョーに興味を抱く訳だ。


ちなみにジャスミン
あしたのジョーの中で一番好きだったのは
カーロスリベラ。
パンチドランカーとなり
最後は廃人となったベネゼエラの色男、カーロスに
兄の面影を重ねていたのかもしれない。

ジャスミン
僕がベッドの中でくたくたに疲れていると
カーロスのモノマネをする、
「ヘイカモン!ジョー、カモン!」

時折、ジャスミン
丹下のおやっさんにもなる
片目をコンドームの袋で隠しながら
「立て、立つんだジョー! 立て!」


僕はベッドの中で
笑い転げる
ジャスミンも笑っている。



そんな
ジャスミンと付き合い始めて、ある日のこと
僕は日本語の勉強になると思い、
日本の歌謡曲やポップスのCDを
ジャスミンに何枚かプレゼントした。

その中にユーミンが1枚あって
ジャスミンはそれが気に入ったようだ。

ある日
ベッドの中で
こんな 質問をしてきた。

「長岡さん
ソーダ水の中を
貨物線がとおる
あれ、どういう意味?」

僕は答える。

「うん
歌詞に出てくるけど
港が見える場所に
ドルフィンっていうレストランがあって

そこでソーダ水越しに
海沿いを走る貨物列車が見えたんじゃないかな、、
まるでソーダ水の中を走ってるみたいに見えたんだ、きっと」



ジャスミンは黙って聞いてた。


そして


「あたし、あの歌好き
あの歌、あたしが生まれた小さな島、思い出すよ
島の海を思い出すよ」



聞けば
ジャスミンはフィリピンに無数にある、辺境の小さな島の出身で
まだ若い頃にひとりで島を出て
首都マニラに向かったらしい。




若い人の仕事は少なく
貧しい小さな島だったが

海はどこまでも広く
青く美しく
幼いジャスミン
いつも海ばかり眺めていたという

ジャスミンはそのうち
ユーミン
「海を見ていた午後」を
片言の日本語で歌えるようになった。


僕らはベッドの上で
魚になった後
仰向けになって手を繋ぎ
ラブホの天井を見上げながら
海を見ていた午後を
一緒に歌った。


ジャスミンが見上げた
汚い壁紙の天井にはきっと
ふるさとの青い海が
映し出されていたに違いない。


ジャスミンの手を
僕は強く握る。


ジャスミンが更に強く
握り返してくる。




あしたのジョー読書会が始まって
数ヶ月目、夏の初めの日曜日、
赤羽の待ち合わせに
ジャスミンはやって来なかった。

連絡がないので
数日後、ブルーヘブンに行き
ジャスミンの行方を探した。

ブルーヘブンの友人によると
ジャスミンはフィリピンに帰った、という。

フィリピンの家族に何かあったらしい。

ことづては一切なかった。


僕は店でラムネを注文し
瓶を傾けて飲んだ
シュワシュワシュワ!っと炭酸の泡が
口に広がる
瓶の口に紅いルージュは付かなかった。



あしたのジョー読書会は
結局、物語の最後まで辿り着けなかった。

ジャスミン
ジョーが無敵の世界チャンピオン、
ホセメンドーサを最後まで追い詰めはしたが
判定で負けたことを知らない。

リングの上で
真っ白な灰になったジョーの姿を見たら
ジャスミンはきっとこう言うに違いない。

「立て、立つんだジョー! 立て!」




(おしまい)

(すかさずラムネ、イントロ♪)






2018.7.21
渋谷LOFT HEAVENにて