倒れた友へ

久しぶりの

仕事休みの土曜日に

つくばまで足を延ばして

寺尾紗穂さんのワンマンライブを見てきました。

寺尾さんの歌声に、直に触れるのは二回目。

つくばの千年一日珈琲焙煎所という

ユニークな場所での演奏会。


http://1001coffee.jugem.jp/


最初に見たとき以来、

寺尾さんのワンマンをじっくりと見たいという欲求が

湧いてたのですが

なかなか予定が合わなかった。

春の冷たい雨の中を

弾むような気持ちで、つくばエクスプレス

飛び乗った。


僕は寺尾さんの歌世界の全てが好きです。


透明感のある声、

ポップな楽曲、

跳ねるような、みずみずしいピアノ、

そして、

文学の香り漂う、独自な歌詞世界。


僕にとって寺尾さんは、言葉の人。

きっと、ゆったりとした時間の中で

寺尾さんのお喋りを聞きながら

演奏会が進行していたら

いい感じに違いない、という直感がありました。


寺尾さんは

決して沢山のお喋りをする方ではないのですが

ぽつりぽつりと

その楽曲の生まれた経緯についてや

最近親しくしている方とのお話や

今現在の、世界の状況に至る話しまで、


するどく熱のある審美眼で

やさしく厳しい眼差しで

人や世界を

真正面から深く眺めていることが

すぐにわかる。


そして寺尾さんの音楽が歌が

寺尾さんの暮らしと、

とても親密な距離で存在していることも

手に取るように僕には感じた。


涙も沢山流れたし

座ってたけど

体は沢山揺れたし

ライブの途中で小さな地震がありましたが

そういうことも

ライブの一部に

自然と組み込まれているような、

喜びと悲しみその波動すべてを

等分に分かち合っているような、

幸せな時間だった。


「骨壷」をやってくれた。


僕にとっては

2年前の父親との別れの際に

僕の中で鳴りやまなかった大切な曲です。

http://d.hatena.ne.jp/onbinpa/20101220/1292851565



ライブの翌日に

正月以来、父親のお墓に参ってきた。

最寄りの駅から

墓地までは20分くらい歩くのだけど

今回、川沿いの素敵な道を偶然見つけて、

「骨壷」を口ずさみながら

雨上がりの街を

ゆっくり歩く。


お墓は

彼岸ということで

母親が綺麗にしていたのだろう。


僕も小さな花を、そこに盛った。


墓石の前に立っても

ふわふわとした心持ちで立つしかなく

けれど

もし親父が生きていたら

今の僕は、どんな風に声をかけるのかな

と想像してみて、はじめて

それが叶わぬことなのだという

冷たい事実が、

向こうからやってくる。



きっと親父はこう言うのだろう。

髭を綺麗に剃れ。

髪をちゃんと生やせ、と。


ふん。

帽子を被せてやった。




寺尾さんのライブの日の夜、

僕の音楽仲間の一人が

病床に倒れた、という噂を耳にする。


近い方達に、情報を求めるも

なかなか詳細がわからない。

どこまで踏み込んでいいのかもわからない。

僕とはいろいろあった人だから

知られたくないのかもしれない。

それならそれでいい。

けど。

心配でたまらない。


川岸を歩いているとき

川から突き出た一本の杭に

海鳥が止まってた。

その海鳥は

僕の大切な音楽の友人に見えた。



ぽつりと

寂しげに

けれど

気高く

強い風を浴びて

杭にしがみついているように見えた。

踏ん張っているように見えた。


僕はただ、見ているしかなかった。

ただ。





届け、僕の想い。

いますぐに!


この歌を

病床の友に、捧げます。



ジョ