眼(まなこ)

今日からちょうど364日前の

3月10日に

僕が何をしていたかが

判明する。


昨日のtwitterには

67年前の東京大空襲の件で、

数人の呟きがあった。

読みつつ、

あれ、何故僕はその事実を知っているのだろうと。

考えてふと、ある場所を思い出した。


神保町に、学生の時からたまに行く

どうしようもないくらい汚くて

客前の棚に「業務用ほんだし」とかを

どかんと置いてるラーメン屋がある。

カウンターのみ7席ほどの小さな店、

客席の背中越しに

テレビが置いてあって

太った親父さんと

痩せた助手(こっちも相当な親父)が

煙草吸いながら

テレビを見ながら

ラーメンを作る店。


1年前の、3月10日。

僕は仕事終わりに

神保町の楽器屋に立ち寄り、

ついでに、いつもの店に行って

ラーメンを食べた。

ちょうど自分とその後の客で

その日の営業は終いとなり

助手が、のれんを片づけ始める。


夜のテレビのニュースで

東京大空襲から何年…みたいな特集をやってて

へぇ、そうかと

体を180度反転して、ブラウン管を眺めていたら

太った親父さんが、ふいに話しかけてきた。


おらぁ当時、宇都宮に住んでたんだが

あの日の東京の空のことは

今でもはっきりと覚えてるよ。

恐ろしいくらい、真っ赤でね。

まだ幼かったが

兄貴と二人で

小高い丘に登って

あっちじゃ、ただならぬことが起きてると

夜遅くまで眺めていたよ、と。


親父さんは煙草をふかしながら

ぼそぼそ話し始めた。

まるで当時の映像が瞼の裏側に

しっかりと焼き付いているような

そんなうつろな眼だった。


宇都宮から

東京が見えたんですか、と

別の若い客が尋ねると

あぁ見えたね、当時は。

と、そっけなく答えが返ってくる。

今より空気も綺麗だったし

高い建物なんてなんにもありゃしねぇ。

富士山だってはっきりと見えた、と。


親父さんは

テレビを眺めてる僕に話し始めたと思うのだが

その若い客が

デリカシーなく

興味のままに

質問攻めにしていた。

親父さんは明らかに面倒くさそうに

答えていた。

つまらないこと言っちまった…てな風に。

そういうことに気づかない、若い客。


僕は食事を終え

その店を出るときに

初めて親父さんに声をかけた。


親父さんはそのことを

忘れたことはある?


そしたら、うつろだった眼に

ぐっと力が入って

こちらを睨みつけるように言った。

おらぁ、一度だって忘れたこたぁねぇよと。

それくらい真っ赤な空だった。

恐ろしい夜だった。

アイツらのしたこと、

忘れたこたぁ、ねえよ。




僕は家に帰る途中に

iphoneでそれらのことを少し調べたりして

怒りに震えていた。


戦時中とはいえ

アメリカは

首都東京の下町を中心に

焼夷弾

雨のように

無差別に

落とした。


東京の街は焼き尽くされ

そこで暮らす10万人以上の人達が

焼き殺された。


今から67年前の話。


テレビでは

小さなコーナーで

しょぼい扱いの話題だったが

親父さんの力強い眼は

僕の心の印画紙に

しっかりと焼き付いた。

焼き付けた、つもりだった。



1年経って

その印画紙も

薄い色合いの

ただの紙切れとなってしまっていたことに

気づく。




翌、3月11日に

あの地震がやってくる。



数年経って

数十年を経て

あの地震のこと、

津波のこと、

原発のことが

どんなふうに後世の人へ語られるのかは

僕らにかかっている。


僕は逃げない。


親父さんの眼を

なんとか思い出せる自分で

よかった。


ここにその断片を書き記すことができて

よかった。


あの店のラーメン、

また食べに行こう。


そして今夜は

思い切り歌おう。


僕は3月11日に

ライブを開催すると

決めたんだ。




ジョー長岡